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道路脇の溝で緑の藻類が揺れている。その上の水面が光を反射している。顔を上げると、真上には太陽があった。
僕は一人で真昼の田舎道を歩いている。ここまでの道のりですれ違った人間は、先程僕に挨拶をくれた子供とその祖母らしき初老の女だけだった。足元から影が伸びている。その影が伸びる先に大きな山があって、薄れはすれど、その存在が消える事はないだろうと不思議な確信が心にはある。ここに至るまで、と言っていいのだろうか、様々な場所や人を点々としてきたけれど、ここに必ず戻ってくる。「ここ」とはつまり「ここ」でこんな事を思う自分の事であって、ある特定の地点を指している訳ではないここに戻ってくるとまた遠くへ行きたいなと思う。どうせまた戻ってくる筈なのに、いっそもう引き返せないくらい遠くまで、と自信なさげに言い聞かせるのも常であって、そろそろ慣れてきた。その都度空恐ろしさを覚えるのは何故だろうか。遠く、と繰り返すだけあり「距離」についてたまに考える。それは物質的距離であって、心理的、極めて私的な心理的距離感でもある。ここからある程度離れたら、なんか、心も遠くへ来たように思う。それは知らない街とか、あるいは海などを見ている時にふと思う。対象と近いのに、遠い、と感じる事もある。それは人といる時によく思う。物質的距離感と心理的距離感は、僕にとって非常に重要な意味合いを持つ、と思う。やはり私的感覚、というのは人の普遍的感覚であると思うのだけれども、よく反対される。

水に揺られる藻を見ると妙に心がざわつく。だが、落ち着きもする。何故だろう。
戻りたい、と思う時がある。僕の記憶の、「ある時点」ではなく、恐らくもっと以前の、僕の記憶すら形成されるより前の、心が知りたいのだと思う。

故郷にて思ったこと